ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 新時代おおいたのページ > 知事からのメッセージ 風紋 -四万十川と初鰹と

本文

知事からのメッセージ 風紋 -四万十川と初鰹と

印刷ページの表示 ページ番号:0001001937 更新日:2014年8月4日更新

四万十川と初鰹と

大分県知事 広瀬勝貞

  

 五月に高知に遊びました。旅の目的は私は四万十川の清流、パートナーは鰹のたたき、と雲泥の差ですが、相いれない訳ではないので2人旅となりました。

 佐伯から宿毛までは、フェリー。久しぶりの潮風が身も心も吹き抜けていく感じで、早やカモメの気分です。宿毛からは車で、四万十市は中村の今日の宿に着きました。

 早速川まで散歩してみましたが、確かに透明度の高い清流が河原いっぱいに広がって、日田の三隈川自慢で育った私も「ちょっと負けたかな」という感じでした。流木やごみがないのにも感心しました。夕日に赤く染まった浅瀬で石を掘り起こしながら魚を追っている人がいたので聞いてみたら「ゴリ漁をしている」とのことでした。今でも川で暮しを立てている漁師も多いそうで、そういえば旅館の夕食は、鮎(解禁前で冷凍ものでしたが)、川エビ、ゴリ、青ノリなど川の幸づくしでした。翌日は少し上流までドライブしてみましたが、至るところ水浴び場あり、カヌーの遊び場あり、川魚料理の休憩所ありで、観光資源としても立派に活かされていました。

 車でゆっくり2時間、高知に着きました。桂浜に向かったのですが、大渋滞で、仕方なく手前の坂本龍馬記念館に入りました。これが意外やおもしろかったのです。国中を縦横に走りまわった人とは思えない程まめに書簡を認めていて、それが展示されていました。木戸孝允に頼まれて薩長同盟の内容を裏書きした手紙など歴史的に価値の高いものもありましたが、関心したのは、姉の乙女あての一つで、(土佐を出て他国へ行きたいという姉に)そんなことになったら、自分が世話をしなければならないが、それは勘弁してくれ。いつか長崎に連れていくから、となだめているところや、(ピストルを送れと言う姉に)それは渡せない。姉さんは「勤王だ」何だと言い散らかす人にすぐ付和雷同して、何をしでかすか、危なくて仕方がない、という手紙には思わずふき出すとともに、さすがに太平洋を臨む土佐の人は気持ちが大きいと思ったものです。

 その夜は、播磨屋橋の近くで鰹たたきを堪能しました。それにしてもこの界隈の客の多いのには驚きました。鰹は黒潮沿いに回遊していて高知はその通過点の一つに過ぎないのに、なぜこんなに人が来るのか聞いてみると、この業界では伝統的に高知県の初鰹の時期を毎年の初鰹としていて、それで全国からファンが集まるようです。仕掛けも上々ですが、迎える地元の観光にかける意欲も大したものだと思いました。夜も9時だというのに、店は開いて人通りも多く、特に商店街の行きついたところに「ひろめ市場」というところがあるのですが、ここがまた屋台がひしめいて、大にぎわいでした。

 翌日逆のコースで佐伯に戻りましたが、よく見るとこのフェリーには高知県、大分県の車の他に九州全県の車が乗っていました。大分県は九州の東の玄関口だと言われますが、まさにそのことを実感。東九州自動車道に見通しがついて、益々期待が高まるのですが、それにしては着いたのが、午後7時10分、「さて日本一の寿司でも食べていこうか」と思った人は多かったと思いますが、港は真っ暗、歓迎の看板も寿司屋の看板もなく、大切な客人を逃しているのではないかと、これは反省。

 県政だより新時代おおいたvol.95 2014年7月発行